こんにちは

 

宮沢賢治さんの作品で「雨ニモマケズ」があります。

 

国語の教科書などで、

だれでも一度は見たことあるんじゃないでしょうか。

私は小学校の時、授業で暗記してから、

いまだに覚えていたりします。

 

実はこの作品というのは賢治さんの死後に発表された

遺作でもあるんです。

 

今日はそんな雨ニモマケズに込められた意味について、

お伝えしていこうと思います。

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現代語訳は?意味は?

 

簡単に言うと、

謙虚で自己犠牲の精神を持った人に憧れた、

宮沢賢治の理想像を綴っったものだといわれています。

 

「雨ニモマケズ」を現代語に直すとこうなります。

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けず

丈夫な体を持ち

欲はなく決して怒らず

いつも静かに笑っている

1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れず

よく見聞きし 分かり そして忘れず

野原の林の下の蔭の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに私はなりたい

 

自分のことだけを考えるのではなく、人を思いやって生きていく素晴らしさは、

今の世の中で見かけることは少なくなってきているのではないかと私は思います。

 

ついつい自分の欲に負けてしまう自分ですが、

小学校の頃、最初に読んで「こんな生き方で来たらかっこいいわぁ」と思い、

毎日音読して覚えようとしてたことを今でも覚えています。

 

そして、この詩には宮沢さん本人の

こういう人になりたいとは思っているけどなかなかなれない自分がいる

という、理想と現実のギャップから生じる葛藤を私は強く感じられます。

 

雨ニモマケズには実はモデルがいた

 

実は「雨ニモマケズ」にはモデルがいるとされています。

その人の名前は斉藤宗次郎という人。

 

斎藤さん花巻市に住んでいて、クリスチャンなんですが、

この頃と言うのはクリスチャンは迫害されていました。

 

彼の娘はエスカレートしたクリスチャンの迫害によって、

死んでしまいました。

 

それでも彼はくじけることなく神に祈り続け、

子供に会ったらアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、

励まし、祈り続けました。

 

彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、

町の人達のために祈り、働き続けたそうです。

 

彼は「でくのぼう」と言われながらも、

最後までFOR YOU精神を貫き、彼は花巻を去って東京に引っ越すことになったとき、

駅には自分のことを迫害していたはずの大勢の人が見送りに来ていました。

 

「御心がなりますように」と神を信じ、人を愛し続け、

当たり前のように人のために行動できる斎藤宗次郎。

 

こんな人と関わりを持っていた宮沢賢治は

こういう人になりたいという願いをこめて、

この「雨ニモマケズ」を書いたとされています。

 

人という生き物は、

自分の身の回りの環境や人にとても左右されます。

 

私も尊敬する人がいて、

やっぱりその人の生き様に影響を受けていると思います。

 

自分の周りに尊敬できる人がいるなら

ソウイウモノニワタシハナリタイ

と、この思いを忘れずに生きていきたいですね。